おいしさを求めて
青年は、走った。小雨の振る中、自転車置き場まで、ダッシュ。
マックでポテトのLと新作のマックフルーリーを買い、それを一刻も早く食べるために。
冷めてしなるポテト、溶けて液状になってしまうフルーリー。
そんな状態では、食べたくない。
アツアツでき立てポテト。ひんやり冷たいフルーリー。
それを味わうために、とにかく帰路を急いだ。
そのおかげで、鮮度をさげることなくいただけました。
自分が頑張ったことも、おいしく感じられた一つの要因になっているかもしれません。
おいしい物は、人によってそれぞれ。
そして、不味いものになれたら、味覚がおかしくなってしまう、本当の味を知ったほうがいい、とよく聞きます。
けど、本当にそうなのでしょうか?
今、私たちが食べているものが、通の目から見ればおいしくないとされるかもしれませんが、おいしいと感じている人もいます。
それでは、おいしいと感じている人たちにとっては、それがおいしくないのかといえば、そうではないでしょう。
おいしさを感じるのは、五感、いや身体全体で感じるものです。
いくらおいしい物でも、周りの環境が良くなかったら(トイレの中で食べるとか)、そうは感じないかもしれません。
逆に、少しぐらい不味いものだって、自分の好きな人が作ったものなら、それを普通に食べるときよりも、好きな人が作ってくれたということだけで、少しはおいしく感じるかもしれません。
そんなわけで、「おいしくなるようにしよう!」
食事はついつい食べるという受け身な作業になりがち。
毎回同じものを食べて飽きた人も、少しだけトッピングを変えたり、隠し味を加えるだけで、また続けて食べられるようなことはありませんか。
私は、去年週三回以上、計130食以上の牛丼を食べたり、週三で同じ栄養補助食品を食べています。
少し工夫するだけで、続けておいしく飽きずに食べられます。
そんな、我流続けて飽きずに、おいしく食べる一工夫。
・トッピングを変える
・食べ合わせを変える
ま、ここまではよくあることです。
・料理を作ってくれた人の思いや使われている食材の提供者のことを考えるなど、その食事の作り手側すべての人や食材に思いをはせる
・食べる側としての自分が食事にいたるまでに思いをはせる
そして、次はおいしさを感じるために一つ試してほしいことです。
・目を閉じたり、鼻をつまんだりなど、五感がなるべく働かないようにして飲食する。
これは、今までとは違う味を教えてくれます。ま、普通に食べるときよりは、おいしく感じないかもしれませんが、後でもう一度普通に食べたとき、よりおいしく感じられるかもしれません。
世界で食料が問題になっている今、おいしいものを求めるのではなく、おいしく感じられるようにする、というのが私たちに必要になってくるのかもしれません。
おいしさを五感と、それに自分の意識で味わってみてはいかがでしょうか?